明治十年創業の造り酒屋「酒持田本店」の代表銘柄「ヤマサン正宗」を堪能しました
神々の國といわれる出雲。数千年もの歴史を持ち、この地の象徴である出雲大社に立ち寄りました。
近年、パワースポットとしても注目されている出雲大社ですが、日本最古の歴史書である古事記にて、その創建が記されているほどの古社です。古事記に記される国譲り神話では、高天原の天照大神に大国主大神が国を譲り、その時に造営された天日隅宮が出雲大社の始まりと云われております。
ここは島根県東部に位置する出雲市平田町の「木綿街道」です。平田の木綿は高く評価され、京都大阪だけでなく、遠方との取引が行われていたそうです。船川周辺では多くの船が往来し、賑やかな市場町として発展。街道には多くの商家が軒を連ね、町の繁栄を支えていたそうで、綿花流通の道として使われていたことから「木綿街道」と呼ばれるようになりました。
その木綿街道にある「酒持田本店」の蔵がある周辺は、白壁の土蔵や妻入り造りの町屋が立ち並び、日本の懐かしく感じるよい雰囲気を醸し出しております。いまでも昔ながらの家屋が残っており、老舗の酒屋、醤油屋、菓子屋などが伝統の味を守り続けています。
さて、今回の出張の目的は、日本酒発祥の地と言われる島根出雲の地酒・純米酒・古酒・秘蔵酒を醸す酒持田本店の蔵見学と蔵人の栫井氏との打合せです。御茶ノ水ビンデンでは4月~9月限定で、ここで働く栫井氏が醸した酒を彼と共に飲める日本酒バーが密かに話題になっております。
【酒持田本店の建築物(上記写真)が出雲市指定文化財に登録されております】
蔵人(くらびと)栫井信二郎の紹介
東京出身。東京農業大学で酒造りを学び、2015年から
周知のとおり、酒の主原料は米と水ですが、当然これらを混ぜるだけでは酒になりません。杜氏や蔵人たちの熟練された技術によって香り高く、味わいが深い日本酒が生まれます。島根県平田市で創業明治10年の酒持田本店は、現在に至るまで変わらない手造りの手法を守り続けております。ここでは、酒造りについて簡単に紹介します。
日本酒造りには、私たちが普段食べる米とは違う「酒米」という特別なお米を磨いてから使用します。この酒米をどれだけ削るのか、また造り方によって純米、純米吟醸、大吟醸となります。
米の外層部はたんぱく質やミネラルが豊富に含まれていて、いずれも香りや色、味を劣化する要因となりますので、酒造りには邪魔な存在となります。ただ、上記写真のような外層部も上手く利用しており、例えば菓子や化粧品、または牛の肥料として活用されております。
島根県産の酒米を自家精米し、麹もすべて手作り。栫井氏のような蔵人は約半年間泊まり込み、醪を気にしながら過ごしているそうです。ヨーロッパのワイン造りでよくいわれる「テロワール」に近い酒造りですね。
白米の表面についている汚れなどを取り除き、さばけの良い蒸米に仕上げるため適度に水を吸わせます。適度に水を吸わせることが大事です。今度はそれを蒸し、麹米と掛米に分けて使用します。前者はそのまま仕込みに使う米で、後者は麹を造る米です。写真のように仕込蔵や酛場、麹室で別作業を行うのですが、この辺りから日本酒が出来るまでの工程が複雑で分かりに難くなります。
そして製麹という流れになるのですが、そもそも米には糖分が含まれていないため、アルコール発酵ができません。そのため麹を使い、この酵素によって米のデンプンを糖分(ぶどう糖)に変え(糖化)酵母の力で、アルコール発酵を行います。この2つの化学反応を同タンクにて、同時に行う技術を「並行複発酵」といいます。この技術は、世界でも類をみない高度な醸造方法であり、この方法によりアルコール度数の高い醸造酒が実現します。
また三回に分けて仕込み、熟成した醪を搾ったあとに出る酒粕やしぼりたての原酒、それを火入れするかどうかとか、微生物の働きを利用しつつ何工程にも分けて造られた日本酒が我々に届くのです。ここ酒持田本店では、加藤杜氏と栫井氏のような蔵人が手作りにこだわり生まれた酒の代表名「ヤマサン正宗」の銘柄が皆様に親しまれています。
2019年4月○日から再開する御茶ノ水栫井バーにて、出雲の地の小さな蔵で造る「技」「経験」「感性」の結晶に触れてみませんか? 蔵人の栫井氏と。
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